東京総研トップへ

元気な企業(最新)

2011年の記事

 

 

 

 

(株)稲田歯ブラシ

■「歯ブラシ一筋で豊かな生活に貢献」

業種:歯ブラシの製造業
(株)稲田歯ブラシ

東大阪と言えば「中小企業の街」。「東大阪で作れないものはない」「ロケットから歯ブラシまで」などと言われる。ロケットは「まいど1号」で全国的に有名になったが、「歯ブラシ」は古くから東大阪や周辺地域の地場産業だ。(株)稲田歯ブラシ(大阪府東大阪市:稲田眞一代表取締役社長)は、昭和11年に稲田社長の父が独立した形でスタートを切った。以来70年以上、歯ブラシ一筋だ。

しかし、なぜ歯ブラシだったのだろうか。実は稲田社長の父は、農業から転業したという。きっかけは近くに歯ブラシの柄に使うセルロイドのメーカーが立地していたこと。また、農業で雇っていた人手が豊富だったため、歯ブラシ製造に転業したという。今では考えられないが、歯ブラシをつくるには、手作業で非常に多くの人員を要したのだ。

昭和33年は大変な素材革命の年となった。柄の部分はセルロイドからプラスチックに代わり、ブラシの部分は豚毛からナイロンに代わった。そんな中、新しい素材にも柔軟に対応した。昭和49年には冷戦の真っ最中ながら、ソ連(当時)から注文が来た。しかも、2000万本という桁違いのオーダー。周囲は、リスクが大きいと反対したが、「もし、失敗したら土地を売って出直そう」と腹をくくり、前に進むことを決断。業界仲間10社を集め、乗り切った。

現在、工場内は機械がひっきりなしに動き、猛スピードで植毛されていく。しかし出荷前、製品の全数検査は機械は使えず、人の目が頼りだ。口の中に入れるもの。当然、衛生面では最高レベルを要求される。検査専門の社員は、ほんのわずかな汚れや傷も見逃さない。ブラシ部分の小さな穴に20本の毛が入るべきところが、18本になっていても瞬時に見分けるという。毎日数人で4万本を検査している。

人材について、「若手や後継者は育っている」(稲田社長)という。今後は「素材やデザインを改良していく」とともに、プラザ合意後の円高で中断している「海外輸出についても力を入れていきたい」という。地場産業は、しっかりと明日を見つめている。


著作者:e-中小企業庁&ネットワーク
出典:中小企業ネットマガジン


著作者の承諾を得て掲載しています。無断転載ご遠慮願います。

 

▲ TOP

2011年の記事に戻る