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2008年の記事

 

 

 

 

 

中村ブレイス株式会社

 

地元への貢献が企業発展にも貢献

業種:義肢装具メーカー
中村ブレイス株式会社


人口500人に満たない島根県大田市大森町が一躍、世界の大森町になった。この町にある石見銀山が、地元住民の念願がかない、世界遺産に登録されたためだ。遺産登録を目指して陣頭に立った一人が中村ブレイス株式会社(島根県大田市)の中村俊郎社長だ。中村社長は1974年12月に故郷に戻って起業した。「石見銀山の中心地として有名になったが、ビジネスとしての地の利は全くない」(中村社長)というほど、過疎化が進む町での起業だった。

東京や大阪など大都会を選択せず大田市に起業したのは、生まれ育った場所というだけではなく「歴史がありモノ作りが昔から発達していたため」(同)だという。石見銀山の発展をバックに、銀を製品化したり、街を整えたりする過程で蓄積された技術があった。周囲には高い技能を持った名工と呼ばれる職人が多くいたという。「そのDNAを受け継いだ若者が育っている」(同)ことが大森町に本社を構える大きな理由になっている。中村社長は「若者はわれわれにとって大きな財産」というほどだ。

同社は義肢装具のメーカーだ。障害者用のコルセットや、シリコーンゴムを使った人工乳房・手の指などを幅広く扱っているが、起業当時は仕事が無い日が続いた。中村社長は高校を卒業したあと、京都にある老舗の義肢製作所で基本を学び、単身で米困に渡り、最先端技術を習得した。この8年の歳月が必ず生きる時がくるとの強い信念で「使う人の身になって喜ばれるものを作り提供していくこと」(同)だけを考えていた。

1984年には東京事務所を開設、技術力の素晴らしさや、きめ細かな対応などから、今では人工乳房だけで利用者が全国で3000人を上回るほどに成長している。中村社長の念頭には常に「地元を大切にする」という考えがある。売り上げゼロの時代に「売り上げが立つようになれば、その何パーセントかは生まれ育った地元に還元したい」と思い描いていた。石見銀山への強い思いと文化遺産を守ってきた地域への貢献である。

公的機関などから地域貢献の表彰を数多く受けているのも、この思いが具体化できたためだ。石見銀山が世界遺産に登録されたのを記念して独自に「石見銀山文化賞」を創設、つい先頃、第1回目の表彰式を行った。また街並み再生や石見神楽の発展に力を入れるなどから、起業家のあるべき姿が高く評価され、渋沢栄一賞を受賞したほどだ。中村ブレイスという社名は世界の石見銀山とともに浸透し始めている。特別に意図しなくても、様々な形で地域に貢献すれば、自社の発展にもつながると思われる。


著作者:e-中小企業庁&ネットワーク
出典:中小企業ネットマガジン


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