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2007年の記事

 

 

 

昭和化学工業株式会社

 

■不動のオンリーワン企業

業種:化学工業
昭和化学工業株式会社

沖縄県は80%以上が観光を中心にした第3次産業で占められている。製造業も食品産業などが中心だ。製造業がなかなか発展しないといわれる。沖縄のマーケット規模が小さく現地消費につながらないためだ。その中にあって隆々とした化学産業が立地している。昭和化学工業株式会社(沖縄県うるま市)がそれだ。

昭和化学は昭和36年、米軍向けに塩素を製造・販売するため沖縄塩素工業としてスタート、今では水処理用の薬剤などを、県内の電力会社やホテル、学校などに一手に供給している。沖縄県のオンリーワン企業だ。本土からの参入がないことがオンリーワン企業を不動のものにしている。供給体制も万全で、20台のタンクローリー車を用意、ユーザーである自治体や電力会社、学校、ホテルなどに配送している。モノづくり企業としての基本姿勢について比嘉克己社長は「どんなことがあっても供給責任を果たす」ことだという。

オンリーワン企業がゆえに供給責任を果たさなければならないという責任が常につきまとう。同社が製品を供給できなくなれば、沖縄全島のライフラインが崩れてしまう。台風や集中豪雨などで生産に支障を来した場合を想定して、苛性ソーダや硫酸などの生産品を貯蔵するタンクも用意、常に一定量の在庫をしている。

同社はいくつかの幸運に恵まれた。本土からの参入が難しかったことに加え、昭和47年に沖縄が本土に復帰した時、社会資本整備が喫緊の課題になった。当然、上下水道の整備は最優先事項だ。この時に生まれた需要が経営の基盤を固めたのはいうまでもない。また、1997年の塩の自由化も追い風となった。1966年に日本で初めて「隔膜法」を取り入れた。この投資が後の自由化時に大きな効果を発揮、メキシコやオーストラリアから輸入した天日海水塩を利用することで製造コストが圧縮できたし、この塩を防塵用の散布塩などとして外販したことも経営の安定化に貢献した。

薬品タンクも本土からの輸送に伴う無駄を省くため内製化した。自家使用のため設備投資したが、ニーズに合わせ外販するようになり、今では家庭用の給水タンクや雨水利用タンク、農業用の農薬散布・液肥調合タンク、建築・土木用の衝突緩和用保護材など55品目を外販するまでになった。同社のモットーは「スムーズ&スピード&セーフティ」であり、技術開発から製品供給までこの基本方針を貫いている。
        





著作者:e-中小企業庁&ネットワーク
出典:中小企業ネットマガジン


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