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2007年の記事

 

 

 

有限会社渡辺鋳造所

 

■伝統守りつつ新技術にチャレンジ

業種:鋳物製造
有限会社渡辺鋳造所


鋳物産地は全国に幅広く分布している。その一つが山形鋳物だ。山形鋳物は平安時代に前9年の役平定のため源頼義が山形を訪れた際、従軍した鋳物師が山形を流れる川の砂と土質が鋳物に最適だとして、この地にとどまったのが始まりだといわれている。その後、江戸時代の初めには青銅を用いた山形唐金鋳物の技術が確立され今日に至っている。こうした歴史の中で1900年(明治33年)に創業した有限会社渡辺鋳造所(山形市)は、山形の近代鋳物の牽引役を果たしてきた。

鋳物はメソポタミア文明の中で生まれ、我が国には弥生時代に中国から伝えられたというからその歴史は極めて古い。当時は銅鐸や銅鏡などの祭器や矛などの武器に鋳物が使われその後、仏像などに利用されるようになった。山形の鋳物業者は昔から美術工芸品や高級な日用品の生産を得意としてきた。

渡辺鋳造所もスタート以来、これらの伝統を受け継いだ製品を手がけてきたが、1970年代に入り需要は先細り傾向となっていた。1974年に山形鋳物工業団地に移転したのを機に高級鋳鉄の生産技術をベースに機械部品への転換を図った。ただ鋳鉄を用いた機械部品は、すでに多くの鋳物メーカーがしのぎを削っていた。そのため他社と同じような製品を作っても、なかなかユーザーに採用されそうもない。そこで、特殊鋳鉄の開発に力を入れた。強い圧力に耐えられる鋳物部品は、どの鋳物メーカーもコストアップになるなどから受注に二の足を踏んだため、渡辺鋳造所は他社がいやがる鋳物について、材料の開発も含め率先して取り組んだ。

事業の柱に育った全パーライト系芋虫状黒鉛鋳鉄は大手電機メーカーと共同開発したもので、エレベーターの滑車や自動車用プレス金型部品にも使われている。さらに山形県工業技術センターとともに、高強度・耐摩耗性に優れた鋳鉄を開発した。ニッケルとマンガンの添加比率を見直す中で生まれたもので、鋼鉄に匹敵するほどの強度を備えており、新たなユーザー開拓に貢献している。

渡辺社長はしばしば「鋳造品は無限大」という言葉を口にする。だからこそ数千年にわたり鋳物技術が引き継がれたともいえる。同社も伝統技術を守りながら、新しいものにチャレンジしている。柔らかい鋳鉄品や溶接構造品の一体化などを相次ぎ開発しているが、この技術開発を支えているのが若手社員だ。「3K職場」と言われた鋳物業界にあって若者の定着率は高い。渡辺社長の鋳物にかける情熱と開発魂が若者を引きつけているのだろう 。




著作者:e-中小企業庁&ネットワーク
出典:中小企業ネットマガジン


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