判例 錯誤に基づく退職願は無効 (2005年5月号より抜粋)  
   

 

 
 

解雇ほのめかし 退職勧奨の限度を逸脱

解雇にまつわるトラブルを避ける便法として、合意退職を勧奨するケースが少なくありませんが、退職願を受け取っても、「後顧の憂いなし」とは言い切れません。本件は、解雇事由がないのに「退職しないと、解雇される」と即断して、退職願を提出したケースですが、裁判所は、動機に錯誤があり、合意は無効と判断しました。

S電線電纜事件 横浜地方裁判所川崎支部(平16・5・28判決)


従業員から会社に対し労働契約の解約を申し込むのが、退職願です。会社がそれを受理すれば、合意退職が成立します。合意退職は解雇ではないので、解雇権濫用法理の適用はありません。ですから、労働契約を打ち切りたい場合、会社は手を尽くして、合意退職の形に持ち込もうとします。

本件は、出向先で工事記録の誤廃棄、同僚への暴言等の事件を起こしたり、関連会社への面接に遅れたりする等の問題行為があった従業員をめぐるトラブルです。

会社は本人に対し、退職勧奨を開始しましたが、担当上司は「退職するなら3ヵ月分の給与を退職金に加算する。合意しないのなら、解雇手続きに踏み切る」と通告しました。本人は「選択の余地なし」と考えて、いったんは退職願を提出しましたが、後にその意思を取消しました。

これに対し、会社は、有効に退職合意が成立しているとの立場を崩しません。一般には、会社が退職願を受理した時点で、従業員の意思撤回は不可能と解されています。しかし、本件では、合意に至るプロセスに間題があったため、従業員側の言い分が全面的に認められています。

民法第95条では、「法律行為の要素に錯誤あるときは、意思表示は無効」と定めています。本件で、従業員は「退職願を提出したのは、自己都合退職しなければ会社から解雇されると誤信したからで、動機に錯誤がある」と主張しました。

そこで、裁判所はまず解雇事由の有無から判断しましたが、過去の判例を踏襲して、会社側に厳しい内容となっています。すなわち、「従業員が身勝手な言動、非常識な行動を繰り返していたのであれば、使用者たる会社は問題行為を指摘し、改善努力を促すなどの指導が十分可能であったのに、長期間にわたって看過してきた」点を重視し、解雇事由は存在しないと結論づけました。

民法第95条には「錯誤に重大な過失があるときは、無効を主張できない」というただし書きが付いていますが、解雇事由の有無は専門家でないと判定が難しく、本人に相当程度の知識があったとは認められないことから、重過失はないと判示されています。退職願を取り付ける場合、功を焦る担当者が「合意できなければ、解雇せざるを得ない」などとほのめかして、従業員の説得に努めるケースがあります。

しかし、正当な事由もないのに、あるかのように装った場合など、勧奨の態様が不適切なら、苦労して受け取った退職願も紙切れ同然になる点に注意が必要です。


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